🌈「ウクライナの避難者を佐渡保養に招きたいプロジェクト」クラファン(4日目)
「ウクライナの避難者を佐渡保養に招きたいプロジェクト」のクラファンがはじまって4日間がたちました。
クラファン達成までの応援投稿として、3.11からの12年間を、関久雄(NPO法人ライフケア代表)さんの詩で振り返ります(拡散希望)
🌈「ゆっくりと坂道をくだって」🌈 ~詩で振り返る3.11からの12年(1)~
関久雄さんは、12年前の3.11の時、原発で避難をしました。
いま、多くのウクライナの方たちは、戦争で避難しています。
戦争と原発
どちらも、誰も望んでいないことに、民草が巻き込まれ、人生が大きく左右されていく。
人間の尊厳がおろそかにされているところが、共通しています。
今日紹介する詩は、原発が爆発する中、「逃げる、逃げない、逃げられない」という葛藤に巻き込まれた、関久雄さんのお子さんの葛藤を歌った詩です。
後半に、この詩が書かれた背景も追記してありますので、よろしければお読み下さい。
戦争と原発
ひとごとではなく、いつでもわがことになりうること
だからこそ、助け合い、生きていきたい。
そんな思いもこめた「ウクライナの避難者を佐渡保養に招きたいプロジェクト」
応援よろしくお願いいたします。
☆☆☆
「ゆっくりと坂道をくだって」関久雄 2014年4月20日
「5分くらい 待ってて」と 言い残して
お寺の 坂道を登っていった
5分過ぎ 10分過ぎても 戻らない
「もう 行くよう」 と呼んで 坂道を登ると
二本松の街並みが ぐるり見える
大きな桜の木の下に 佇んでいて
ほら あの 大きい建物は市役所で
あの 大きな煙突は 千功成の造り酒屋
その下の道を 南小に通ったっけ
提灯祭りの 太鼓台で
松岡通りを ねり歩いたっけ と
中3になった息子が なつかしそうに 言うものだから
おれも 黙って 街を眺めた
「もう 行くよう」の お母さんの 声
さらさらと 桜の花びら 流れ
ゆっくりと 坂道を 下りていく 息子のレン
ガランとした境内 道ばたのタンポポ
家の後ろの 乗らなくなった自転車
思い出を 確かめ レンは
避難先の米沢へ 帰っていった
さらさらと 桜の花びら 流れる
坂道を 下って
(関久雄)
☆☆☆
この詩が書かれた背景
「別れのないさよなら」、米沢へ避難
福島県中通りに住む人たちに「避難指示」は出ませんでした。しかし、2011年の12月28日までに避難先を見つけ、申請すると家賃が出されることになり、私たちは米沢の牛森団地に引っ越すことを決めました。しかし、一番下の子(小6)は「なんで転校しなきゃならないんだよ」と泣いて反抗して大変でした。「ここには住めないんだ。今年出るか来年、出るかだ」と説得し、中学に上がる時に避難移住することに決めました。でも、長男は「行った先で馴染めなくて不登校になるぞ」と反対。下の子は「転校のこと、他の人に絶対、言わないで!」と言いました。避難する子の殆どは黙って出ていきます。回りの子たち新学期になって初めて、「〇〇君、来てないね」、「転校したらしいよ」という話になります。これは「別れのないさよなら」でしょうか。
私たちは2011年の暮れから家財を運び、引っ越しの準備。翌年の4月の米沢第7中の入学式。回りに知ってる人は誰もいません。息子は心細かったことでしょう。入学式の後、駐車場で「1か月で友だちできなかったら、二本松に帰るからな!」と怒鳴って車を蹴りました。七中には福島からの避難児童が30人程いました。息子が入ったサッカー部にも7人避難児童がいて、すぐ仲良くなり私たちは安堵しました。ただ、反抗期とも重なり荒れて大変、取っ組み合いのけんかもしました。救いはサッカー部、福島から来た子たちはみんな上手で、なんと2年生の新人戦の県大会で優勝したのです。同点で迎えた後半のロスタイム。コーナーキックからのボールを息子がヘディングで決めた時に終了のホィッスル。「福島から来た子たちのおかげだね」と山形の人たちと抱き合って泣きました。本当に山形の人には親切にしてもらいました
「坂道を下って」
息子が中学3年になった時、困ったことを言い出しました。「お父さん、お母さんはおれを無理やり米沢に連れて来たんだから、高校ぐらい好きにさせろ」と言い、二本松の安達高校に行きたいと言うのです。さて、困った。でも、幸いな(?)ことに息子は成績が悪く、おまけによく学校を休んでいたので、県立高校に入れる立ち位置ではありません。私は、「残念だが、お前の成績では安達高校は無理だ。推薦なら私立しかない」と話し、結局、彼は米沢の九里高校に推薦で入学できました。彼は時々、二本松に帰っていたのですが、帰るたびに故郷を失っていくことを味わいました。二本松は「提灯祭り」が有名で、8月下旬から子ども達は「小若」としてお囃子の練習に励みます。でも、長男から「練習に出れない奴は太鼓台に乗せられねえからな」と言われ、下の子は「わかっているよ」と応えましたが、本当はさみしかったと思います。帰るたびに居場所がなくなっていき、故郷を諦める中から米沢での暮らしを受け入れていったのでしょう。高校でもサッカーを続け、それから看護師になりたいと仙台の大学に進学し、今は東京の病院で働いています。
そして、二本松に戻った息子の様子を書いた詩「ゆっくりと坂道を下って」がうまれました。これは加藤登紀子さんがCD「果てしなき途上にて」で朗読して下さった詩です。
良かったらお読みください。次回は連れ合い達が避難先から追い出される「米沢追い出し裁判」を書きます。
関久雄・池田雅之
<クラファン目標金額20万円>
一人当たり4万円(東京からの旅費、船代、へっついの家の利用料、食事代、移動費用)×5人=20万円
<クラファン期間>
令和6年7月9日~8月18日
<クラファン振込先>
ゆうちょ銀行
記号18240-2
番号16388581
名前トクヒ)ライフケア
<問い合わせ先>
関 久雄 080-5227-2110
(クラファン情報はこちら)